11月25日文学フリマ東京に5月に続いて参加してきました。今回は詩集を作成したのもあって、掌編小説のブースではなくて、詩のブースで参加しました。
ご来訪してくださった方々、ありがとうございました。 多くの出展個人参加者がそうかと思いますが、私の本も特に大きな書店で見ることは現状できませんから、ネット通販かこういったイベントでないと知ってもらう機会がないかと思います。 そのなかで、今回参加の反応を見て、あまりにも反応がなければ、そもそもの執筆活動自体を引退することもでも視野に入れて考えていましたが、参加してみて、新しく見本誌から立ち寄ってくださった方もいらして、まだ私でしかできないこともあるなと思い、当面の目標としては大きく見積もってあと5冊くらい作って、 ラベンダーを完売できたらいいなと思っています。大げさか・・。 詩の需要というのはそんなになかったようですが、私が詩集を作成したのは、掌編小説本を出すよりも多く詩を書き続けていたというのがあり、それを形にする必要はあるかと思いました。 想像が困難かもしれませんが、一つの詩を考えるだけで、何時間も練ることもあります。苦しみのなかかから詩を書いたこともあります。本作の詩はその時期以降の詩もまとめて入れており、確かに生きている軌跡として詩集を残せたかと思います。ある意味、これを作ったのは私のわがままのようなものです。 掌編小説を販売するなかで、購入した方と話をしてどういう話がお好きなのか尋ねて、色々な意見や好みがあるなと思いました。たとえば、私がこれは人には見せられないくらい粗いと思っていた本の話が誰かが好きだったり、作者の勧める話の形とは対極にあるものを好みとして感じたり。。 敢えて、文字として残すなら、とても読みやすい話ととても読みにくすぎる、どっと疲れる話といいますか、その双方に需要があるなら、そのどちらでも書き続けるということは結構大事なことだと思いました。 また、今回のイベントでは以前から知りあっていました他の作家さんとも交流することができました。 なかには新しく私に関心を抱いてくださったり、ありがたい限りですが。以前、知り合った全ての作家さんと交流するところまではいきませんでした。 こうして色々と書きはしましたが、私が沢山文章を読むほど小説が好きかといわれると、特定の話限定になるところあり、この活動においては、私の描ける・表したいものを書いていこうとは思います。 ファンを作るというのはとても難しいものだと読者としても作者としても思います。 ブース撤収前、並べてある自分の本を見て、この光景が数年以上前に、私が見たかった光景だったのかと考えました。その回答を今すぐ答えることはできませんが、ひとまず保留にいたします。 また、イベント参加することがあったらこちらに更新するかもしれませんし、しないかもしれません。 また、そのときにお会いできたらと思います。 最後まで読んでくださり有難うございました。
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これまで掌編小説ばかり書いてきましたが、新しく短編小説の話として連載小説を「小説家になろう」にて書き始めることにしました。内容としては純文学ではないですが、行けるところまで書いてみようなんて思っています。もし宜しければ応援していただけると幸いです。この話、「信の行方」が書籍として形を成すかは今のところはわかりません。それでは。
https://ncode.syosetu.com/n0689ev/ ≪こちらは、mixiにて投稿した16年12月の日記の転載になります。土浦の資料館に行き感じたことやその様子です。≫
今日は三連休の一日目ということもあり、父から聞いた土浦の予科練平和祈念館に行ってきました。そこで予想の外ではありましたが、戦時中に志願していった飛行機乗りたちの訓練学校の模様や入学試験の内容などを見て、その写真から当時の学生たちが自分らの20歳そこらの頃と変わらないことを強く感じさせられました。 館内では神風特攻隊の模様を映した短編のドキュメント映画も上映して観ましたが、日本の戦争映画をほとんど観ないがために、モールス信号が連続して送られる中、それが聞こえなくなった時が追突する時だということを、知り新しい発見を感じました。 今でいう自爆テロのようなものを日本の戦時作戦として、勧めていたことに怖ろしさを感じました。 潜水服に爆弾を巻きつけるなんて・・知りませんでした。 行きはバスで向かったのですが、帰りはちょうどよいタイミングがなく、駅まで50分くらい歩いていました。風が強い日でした。 単に戦争に興味があって行くという感じではなく、自分の場合、これから何を糧に生きようかと考えるために、既に自分よりも10年も若くして犠牲に向かっていった彼らの生きざまを学ぼうと思い行ったのでした。 そして、何が得られたかというと、彼らの家族への手紙や当時の国のムードに影響を受けはせず、感じたのは、彼らの気概としていた自己の内省でした。 つまり、5訓と言われた、 怠けはしなかったか、恥ずかしいことは言わなかったか、誠実であったか等・・ その日、一日の彼らの姿勢がつまり、目指すべき目標に向けて労を惜しまなかった生き様を発明したのではないかと感じました。 そう比較すると、最近はなるべく一日の最後まで懸命になろうと仕向けたりすることはありますが、それでも学生の頃のときと比べると修身よりも人間らしく怠けてきているなと思ったりします。 思えば幾星相・・と、彼らの遺書には幼いころから今までが地続きの現在として綴られていますが、はるかに彼らより生き永らえている今日、その幾星相といえるように自己の気概を保てるように生きてゆけたらと思います。 そういえば国語の試験の作文に、自己犠牲というテーマがありました。 それについて、私の考えは現代と照らして述べたりはしませんが、しかし作文とは各々に突きつけられるものだと感じました。 今日はそんな日でした。 |