普段、音楽を聴いているか、洋画ばかり観ていることが多く、さして読書をしていないかもしれませんが、Amazonプライムになったことにより、kindleでフィッツジェラルドのグレートギャッツビー読みだしています。 彼の話は、随所に見られる情景の描写に話の展開よりも魅力を感じます。 三章くらいまで読み進めたのですが、気になった一文があったので、引用します。 館での盛大なパーティーのシーンです。 『海峡の水面には銀波が大きな三角形に浮かび上がり、芝生の庭でかき鳴らされているバンジョーの音に合わせてゆらゆら小刻みに揺れている』 この一文に目が留まりました。この物語自体は現実の都会生活をもとに描いていますので、誇張的ではありません。しかし、この一文には情景描写が過大すぎる感じがします。 科学的に考えて、バンジョーの音色による空気の振動が、(さほど大きくはならないであろう楽器だと思うのですが)波の動きに関連するとは思いません。仮にこの描写が事実的であっても、揺れているのは、実際に音色に関連しているのではなく、関連しているように見えていると書き手が思っていると予想されます。 では、このような表現を用いた文章を仮に今の時代の文学賞に代表される選考委員が目にしたとき、それを次に通すでしょうか。きっとしないように思います。 逆説的に考えますと、落選される者の多くにこのような行き過ぎた表現があるかもしれません。 だから、表現を控えめにせよと言いたいのではなく、このような引っかかるところに何か面白いことがあるのです。 私達といいましょう、私達が実際に描いていきたいのは、文学の流れを継いだように見える商業に反映された新しき文学とよべるものなのでしょうか。それとも、過去の中にうずもれてきた純度の高い文章の復活・後継でしょうか。 選択は自由だと思いますが、一考いただけたらさいわいです。 以上です。また、気になったら更新します。
0 コメント
|