作家として全国の書店に書籍を置いてもらえることは、アクセスの面では課題を解決しているが、反面、置いてあるだけで読んでもらえるか、埋もれてしないかという課題を抱いている。 対して、そのような出版社との縁もコンクールなどの受賞歴もない作家は、書籍を出版社に売り込めば話は別だが、同人誌等の見本市に参加し、売り込まないとならないというアクセスの面でハンデを持っているが、案外ファンにはアクセスの面は気にならないのかもしれない。 それをふまえて、自分の現状は後者である。仕事の合間に創作活動をしているので、当然イベントの日にちに仕事が入れば、仕事を優先せざるをえない。これまで三冊作成した自費出版はネット上の流通を可能にしたが、その分、これから将来を5年、10年と視野にいれたとき、費用がかかりすぎて、別の選択をする必要があると感じた。 そして、今年の新作は印刷会社を同人誌に強いところに切り替え、そのため費用を大幅に下げることができた。まだ自分のところに届いてはいないが、間に合うように出来上がる予定なので、5月6日の文学フリマ東京にはお披露目できそうである。 つねづね、やり繰りをプラスマイナスゼロにするのであれば、自費出版の書籍は値段が高くなるのは致し方なく思う。そういうものをよく見かける。しかし、自分の場合は、学生の頃、書店の新潮文庫で手軽に入手した300円から400円の有難さとその本の内容の濃厚さが印象的で、だから今作も400円で販売しようとするこだわりは残る。だからゼロではないけど、昨年比よりはプラスになれているのだから、ようやく軌道に乗れるのではないかという兆しが見えているのは嬉しいことである。 そんなか、投稿サイトで知り合った書き手の方から自分の小説を紹介したいという意見をいただいた。その紹介エッセイも読んで、嬉しく思った。このような自転車操業でやっている私の本を編集者として担当したいという文面は本当にありがたく思うのだ。そんなことができればどんなにいいだろうと思う。 凡そ、出版社に取り扱ってもらえる利点とは大きく以下の二つではないだろうか。 1、多くの読者に自分の本の存在を知ってもらえること 2、本の作成によるコストを抑えられ、場合によっては利益が入ること そのため、作家業を生活の生業にしている作家は、生活の安定を保証される代償にハイスピードで書き続けねばならないという使命を担うのではないのだろうか。 そのような生活に憧れることが全くないわけではないが、今は自分にできることの路線を有るがままに進めていこうと思うし、恐らく自分が地方のイベントに参加するのは、参加それ自体よりも、その地方に住む友人や知りあいに再会するのが楽しみだからという理由の方がいっそう強い。 同業のもの書きにも色々な考え方の人がいるから、時には何度か対立や喧嘩などしたこともあるが、大してそこにしがみつく理由はないし、大方誤解が起きるのは面識が知らない人でしかない。厳密には実際にお会いした人にも裏の顔があるのかもしれないが、自分の経験からは面と向かい合う方と対立するってのはほとんどないかなと思う(仕事の場面を除いては)。 多分、自分より10歳20歳以上上の文学に精通している方から、自分の作品を褒めてくださるのはとてもこの活動を続けてよかったなと思える。文学が好きな方は沢山いるのはなんとなく見かけるからわかるのだけど、その系譜にはっきりと自分が認められてきた機会を持ったなというのは、この孤独の作業の一つの収穫な気がする。 だけど、自分自身は昭和や明治の純文学のみを書きたいのではなく、どうしても実際の生活では伝えたいことに制限がかかるので、ファンタジーという架空及び現実の模写世界を書きたくなる。しかし、それもテーマが過ぎればという間までである。 ホフマンスタールは、あれほど素晴らしい詩を書いていたのに、その後は一切書かず、劇の脚本に専念した。自分も重なるテーマはなるべく書かないように次に書きたいものを探し、展開させるようにしている。 そのために半年以上なにも書かないという時期もあった。でもそれは二年おきに作品を書くという規定があったからかもしれない。 これからの目標としては、次の自分の作品と、色んな人のエッセイ本を作りたいという思いがあるが、それも命の灯がゆらめく間いつの頃になるかはわからない。時と構想が決まれば、こちらから知っている人に声をかけると思う。 現状としてはそんなところ。 読んでくださり有難う。
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ご無沙汰しております。 5月6日、文学フリマ東京 5月27日文学フリマ金沢 このイベントに参加出展致します。 今回、4冊目の本を作製しましたので、そちらも持参し、販売します。 他のブースの見本誌も見たり、ブースで待機などしていますので、立ち寄っていただけるとさいわいですし、こちらも新しい発見があるのを期待しています。 宜しくお願いします。 |