本日、東京流通センターで行われた文学フリマに参加してまいりました。 参加した出展者の皆様、設営や企画に携わってくださった皆様、来場してくださった皆様 お疲れ様でした。 思う事は色々とあったのですが、こと細かく書き記すよりもどっと疲れているので、より大事なことをここに残せたらと思います。 今回の文学フリマは会場が一つにまとまったこと、連休の最終日ということもあってか、5千人以上の来場者があったと聞きました。 そのなかで、私のブースに小説を求めに来られた方は0.1%くらいだったかと思われます。 それは確かに総来場者と比較すれば僅かなのかもしれません。 しかし、今回私は一般の方にただ本を渡すだけでなく、色々と雑談をしたことで考えさせられることが多々ありました。 普段から海外文学や哲学に親しんでいる自分ですが、小説にもその影響は色濃く残っており、 海外文学や哲学好きな読者がわざわざ私のブースに来てくれたこと、見本誌を読み、良さを感じて私の本を買いたいと思ってくださったこと、とても有難いことかと思います。 また、日頃仲良くしてくださっている作家様も挨拶に来てくださいました。 私は2013年から小説を作り始めて、掌編小説は今回で5冊目となりましたが、遂に今回で 第一冊目の小説が完売となりました。 この5年、6年は色々と試行錯誤や新しいものに実験的に挑戦する日々が続きました。同じような話は書けないところがあり、純文学なのか幻想文学といえるのか、ただのファンタジー小説、ヒューマンドラマにすぎないのかと考えることもありました。 今回、予め決めていたところを私は回ったくらいでそのほかの見本誌を回ることはしませんでした。申し訳ありません。それは11月に一般参加として色々と吸収できたらと思います。 今後の予定としては1月の初京都文学フリマ、来年の5月の文学フリマには参加を視野には入れています。その際、見本誌が海外文学好きの方に届いていないのではないかと今日、思えたため、今度参加されるときは純文学ブースで出てみようかと思います。それは、自分だけではなく、他にも純文学ブースには海外文学好きの出展者も少なからずいらっしゃるかと思います。 ですので、予定の段階ではありますが、参加したあとの反応を見て、また考えようかと思います。 なんというか、今回はブースに立ち寄ってくれた方が私のブースが狙いで来てくださった方が多く、少数ではあってもそれは私自身が書き続けることにとても価値があることかと思いました。 既に小説家になろうでへんてこな小説を書いている途中ではありますが、自分の望むものを書き、残すことができたらと思います。 どうも有難うございました。 .
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こんにちは。
今年の新作掌編「太陽が近かったなんて」が完成し、手元に届きました。巻末に思いを書いたように今回ので、私の創作活動は区切りをつけたこともあり、翌年までになにか文章を書く前に、私が文章を書いてきた理由を考えてみようと思いました。 掌編小説のコンテストというのはとても限られているために、何が私の書く動機や原動力となっているかと思うのです。 自分で文章を書く前に、誰かの文章を読んでいたというのはありました。その文章に感銘を受けて自分でも書いてみようと思ったのかもしれませんが、ただ、私が書き始めた時は、文学や哲学というのでなく、とても自由に書いていたがために、文学を書きたいと、そういうわけではなかったのです。 でも、今でも日本の純文学はいいなと思うことはあるのです。転じて、それは書店にある現在の文学作品というのは当時となぜこうも違うものだろうとも今でも思ったりするのです。 最近は文学フリマに参加される方も大分増えてきたので、そちらに任せてもいいと思ったりもするし、自分がイベントに参加してしまうと、他の方のを読みに行くことができないので、秋の文学フリマは見学だけにしようとか思ったりするのです。 大学生の頃、漫画家が著名人と話す絶望に効く薬という漫画が好きでよく読んでいました。人の行為の結果は人以外の生き物を汚すことが多いのですが、そういう悲観的な考え方の自分にとって、この漫画家さんが抱いていた絶望に対して、数々の対談者が話していく処方箋はなかなか面白いものだと思いました。なかには心の話もありました。クリエイトされたりご自身が活動家になられた方は自分が息苦しくて救われたいからなったという話もありました。 私もそういうところありました。だから、一つは自身が抱える苦しさや悩みというものを文章に変えて、向き合い吐き出していくというところはあると思います。 でも、別に自由に話を書いていたように、遊びとして気晴らしや気分転換として書いていたというのもあるのです。 本を作るきっかけになるのは知人が文学フリマを教えてくれたからでした。一度行ってみて、然程作品の自由度があるので、このくらいならとりあえず作ってみようかと思いました。 ですが、初めて作った本に、作家として注目されたいとか後世に自分の文章を形として残したいと思っていなかったといえばそれは嘘です。だからこそ、焦りがあり、最初に作った文章は編集がうまくいっていなく読み苦しいところが幾つかあるなと思います。正直に私が残したいと思ったのは更にその幾つか先の文章なので、その本は作れてよかったなとは今でも思います。 後に私の文章を認めて下さる読者や作家、音楽家もいらっしゃるようになり、私が敬意を抱いていた方に認めてもらえたのは光栄なことだと思いました。 凡そ私の好きな文学というものにはそこに思想があり、人生観が入っていると思います。 ほかに、情熱や叫びのようなものも入ったりします。 美術や芸術に通じるものも入ったりします。 つまり、好きなものや色々なものと接していく内に私はまた独自の文章を書いているのでしょう。 自分で自分の文章を読み直すと、その掌編小説ごとに色々な性格や特徴があって、自分の幅や広さを感じたりします。自分に限らず色々な方の文章を読むことでそれぞれの人に違った良さを見つけます。 文学が好きであると、昔の文学のような作品が少ないと言っておきながら、自分にそれを課さずに変化に委ねているのだから、自分自身も随分勝手だなと思います。 ただ、私の文章の型はさほどぶれることは考えにくく、生きていますから、色々と思うことありますから、楽しんだことをまた文章にしたり、苦しんでいたことを文章にしたり、刺激を受けたことを文章にしたり、印のような生き物を標本としているようなそんな感じな気がします。 今も若い人は彼ら特有の生きづらさを持ったりしています。そんな方になにか癒せるきっかけとなればと書いた話も最近はあります。あまり私と似たような経験や思いは感じてほしくないとかそんなところです。 通販ではあまり私のは出回っていませんが、本として形となったものを手に取ってくださるのはネットで文章を読んでくださることより私はとても嬉しかったりします。それはデザインやイメージ、協力して下さっている方のこと、それらがまとまっているのからかもしれませんし、単に費用をかけているためというのもあると思います。 ですので、文章を書くだけでなくそれを本としてご提示することまでが私が望んでいることではあるのです。例えばイベントで私の隣の参加者だけたくさんお客さんがいて、私のところ買う方は少ないとします。そういうとき、「君はなぜ誰も君の文章を読んだりしないのに本を作り続けるのかね?」と誰かが尋ねたとします。 前に言っていたのは、私がまず自分の本を楽しみにしている読者だからと覚えています。 もし、それの別にあるとしたら、ここまで活動を続けて思うことはこうです。 「起きている事を書いているのです、それが生きていることだからです」 「私しか書けないことがあるようです、確かにずっと日の光には浴びないかもしれませんが、それでも私しか書けないのなら、私が書きたいのなら、それは続ける必要性があるということではないでしょうか」 私は宣伝活動が恐ろしく下手なので、東京のイベントでしか直に見ることはできないのはとても申し訳なく思っています。 でも、文学フリマというのが書店よりも文学に熱意があるのは確かな気がします。これから考えたままでいえば、毎年春のイベントには参加していけたらなと今はそんなところで。 私は頑なに続けないといけないとかそこまでは考えていないのです。大事な時間を過ごして、書きたくなれば書けばいいというくらいです。 なので、もし私の文章のファンの方がもしいらっしゃるのであれば、次は大分先になりますから、5月の文学フリマ東京に遊びにきて、ひとまず最後となった「太陽が近かったなんて」を見てほしいものです。 以上です。 お読みいただき有難うございました。 はじめまして。
こちらのホームページは掌編小説と詩を書いてきたものを載せたりしています。 今回、広告掲載のお礼も兼ねて昔の詩から「影色の日々」という詩篇を載せました。 また、掌編小説と詩をわかりやすく色分けしました。 これまで計5冊の掌編小説や詩集を自費出版で作ってきましたが、お陰様で初期の作品はもう残り 部数が僅かとなりました。そして、6冊目は部数少ないですが、3月中には完成予定でございます。 完成次第、ネットショップには載せますが、もしご注文の場合は、私個人でゆうメールやゆうパックなどでご用意しますので、しばらくお待ちください。立ち読み用として、「太陽が近かったなんて」「桜の眩しさ」「ルーダと七面鳥」「オレンジ」などを小説のページに載せております。 立ち読みまででもかまいません。自分の場合は、販売価格より作成代金の方が高いのですが、文庫本の手軽さ、持ち運びやすさが好きなので、こんな形で活動を続けていました。 九州や西日本からでは遠いとは思いますが、イベントしてはひとまず5月の文学フリマ東京には参加が決定しています。一人でも何か私の文章に心を感じたのなら、広告を載せて有難いなと思います。 それでは。 しばらくぶりの更新です。
まずはイベントのお知らせです。 3月3日 川崎市産業振興会館で行われる本の社という小説の即売会に出展します。 また、5月6日 東京流通センターで行われる文学フリマ東京にも出展します。 一つ目のイベントは初めての参加なのでどうなるかはわかりませんが、色々と感じることが あればいいなと思います。このイベントに間に合うかはわかりませんが、新しい掌編小説集を作成予定です。5月にはお披露目できるとは思いますが、今度の発行部数は前より抑えるかとは思います。 新しい本の収録作品は、小説家になろう、カクヨム、エブリスタなどから最近書いたものを取り入れます。記憶に近いのは「黄昏ゴブリン」「遥かなブルー」「太陽が近かったなんて」「二人が眠るまで」など。これに関連したもの、これまで収められなかった「オレンジ」「神様が語り掛けてきたこと」などを収録予定です。 そして、これ以降私の新作ペースはひとまず止まるかと思います。もし、他のイベントにPRしに行くのであるなら、それは最新ではなくて今回含めた6冊の本を配布に行くくらいでしょう。 これは私自身が書きたいテーマというものがなかなか出てこないというのが影響しています。 応援して下さる方がいらっしゃいますから、筆を置くことまでは致しませんが、少なくとも前のペースに戻りますし、今年の誕生日を迎えれば33歳になりますから、その間に私の作品が過去の作家と対決できたのか質を保てたかどうか考えてみようと思います。 よかったらイベントにおこしください。お待ちしております。 このブログ始めた頃よりツイッターの利用者が多くなったのか閲覧数が多くなった気がします。 どうもお読みいただきましてありがとうございます。 では、また。 11月25日文学フリマ東京に5月に続いて参加してきました。今回は詩集を作成したのもあって、掌編小説のブースではなくて、詩のブースで参加しました。
ご来訪してくださった方々、ありがとうございました。 多くの出展個人参加者がそうかと思いますが、私の本も特に大きな書店で見ることは現状できませんから、ネット通販かこういったイベントでないと知ってもらう機会がないかと思います。 そのなかで、今回参加の反応を見て、あまりにも反応がなければ、そもそもの執筆活動自体を引退することもでも視野に入れて考えていましたが、参加してみて、新しく見本誌から立ち寄ってくださった方もいらして、まだ私でしかできないこともあるなと思い、当面の目標としては大きく見積もってあと5冊くらい作って、 ラベンダーを完売できたらいいなと思っています。大げさか・・。 詩の需要というのはそんなになかったようですが、私が詩集を作成したのは、掌編小説本を出すよりも多く詩を書き続けていたというのがあり、それを形にする必要はあるかと思いました。 想像が困難かもしれませんが、一つの詩を考えるだけで、何時間も練ることもあります。苦しみのなかかから詩を書いたこともあります。本作の詩はその時期以降の詩もまとめて入れており、確かに生きている軌跡として詩集を残せたかと思います。ある意味、これを作ったのは私のわがままのようなものです。 掌編小説を販売するなかで、購入した方と話をしてどういう話がお好きなのか尋ねて、色々な意見や好みがあるなと思いました。たとえば、私がこれは人には見せられないくらい粗いと思っていた本の話が誰かが好きだったり、作者の勧める話の形とは対極にあるものを好みとして感じたり。。 敢えて、文字として残すなら、とても読みやすい話ととても読みにくすぎる、どっと疲れる話といいますか、その双方に需要があるなら、そのどちらでも書き続けるということは結構大事なことだと思いました。 また、今回のイベントでは以前から知りあっていました他の作家さんとも交流することができました。 なかには新しく私に関心を抱いてくださったり、ありがたい限りですが。以前、知り合った全ての作家さんと交流するところまではいきませんでした。 こうして色々と書きはしましたが、私が沢山文章を読むほど小説が好きかといわれると、特定の話限定になるところあり、この活動においては、私の描ける・表したいものを書いていこうとは思います。 ファンを作るというのはとても難しいものだと読者としても作者としても思います。 ブース撤収前、並べてある自分の本を見て、この光景が数年以上前に、私が見たかった光景だったのかと考えました。その回答を今すぐ答えることはできませんが、ひとまず保留にいたします。 また、イベント参加することがあったらこちらに更新するかもしれませんし、しないかもしれません。 また、そのときにお会いできたらと思います。 最後まで読んでくださり有難うございました。 こんにちわ。
来月、11月25日の文学フリマ東京に参加しますので、そのお知らせです。 何度か出展していたこちらのイベント、今回はショートショートではなく、詩集を作成したため、詩のブースで参加します。 どちらかというと、私の掌編の多くが思弁的で、ショートショートよりも純文学のブースで来場者を見てみたいというのがありましたが、同様に詩のブースに変更しましたから、どうなるだろうと予想できません。 出展者にとって自身の書いたものを見てもらうのは有り難いことかと思いますが、イベントにかかる費用や書籍を作成するための費用を考えると、そんなに頻繁にイベントにも出れないものだとも感じます。 多くの人に見てもらうことが大事なのか、一人の読者に強く響かせられることが大事なのか、はたまた 収益につながるように販売することが大事なのか、こういうことを考える時、イベントを参加することに一度躊躇したり考え直すことがあります。 私自身、強く宣伝はしていないのですが、ウェブショップを作ってみたものの、それの反応は現在、あまりありません。 しかしながら、全国に流通する術を考える際に、その術を構築することができたのは喜ばしいことだと思います。 恐らく私だけではないとは思いますが、書籍を作成しそれを自身の範囲で販売するのに利益より損失の方が多いのかもしれません。 だから、買ってくれることが、気に入られることがないとしたら、この一連の行為を嫌になってしまうものなのでしょうか。 ただ、自身が考えたことが形になるという喜びがあるというのも事実です。 現在の自分の調整可能な範囲で考えると、少量ずつ本を作り続け、ライフワークや習慣のように自分ができて、あまり他に見ないことをし続けるのがよいかもしれません。。と、最近は思いました。 では、文学フリマ東京、私は暇していると思います。宜しければお立ち寄りして声かけてください。話もできるとは思います。大して読書家でもなく、最近の作家もほとんどわからないですが、むしろ皆さんが普段どんな音楽を聴いているのか聞きたいものです。では~ こんにちは。
最近は、小説の投稿を、「小説家になろう」ではなくて、「エブリスタ」に投稿しています。 コンテストでお題があるので、それによってお話しが何か書く気になれるのが 1つの利点かと思います。更新は不定期とは思いますが、宜しければお読みください。 私のペンネーム「蓮井 遼」で検索いただければお読みできると思います。 それでは、また。 これまで掌編小説ばかり書いてきましたが、新しく短編小説の話として連載小説を「小説家になろう」にて書き始めることにしました。内容としては純文学ではないですが、行けるところまで書いてみようなんて思っています。もし宜しければ応援していただけると幸いです。この話、「信の行方」が書籍として形を成すかは今のところはわかりません。それでは。
https://ncode.syosetu.com/n0689ev/ 昨日、文学フリマ金沢に初めて参加してまいりました。福井に小学生の頃から仲の続いている友人がいまして、前日の夜に一緒にご飯を食べて、別れました。ホテルから会場までのルートを少し誤り、時間内に着けるか焦りましたが、なんとか到着できました。
会場に足を運んで、当ブース、蓮の咲くところに立ち寄ってくださった方、本を手にしてくださった方、有難うございました。行かなければわからなかったことだなと思います。 もし、私の本に興味を持ち、他の作品も気になるという場合には現在は、一部アマゾンでの通販と、またshopのページからネット通販をしていますので、お手数ですがそちらをご利用いただくか、小説家になろうやこちらのホームページでも幾つか読めたり、今後も更新していきますので、チェックしていただけると幸いです。 今後のイベント参加については今のところは未定としていまして、しばらくは会場にお客さんとして参加はできても、展示側としては様子を見ようと思っています。 それでは、また。 6日の文学フリマ東京が終わりました。会場に足をお運びいただき、当ブースにお立ち寄り、本を手に取ってくださり、ありがとうございました。私は5月の文学フリマに参加したことはほとんどなく、これまで二年おきに参加していたのが、今回は一年以内の参加であったため、どのようなものか想定できなかったのですが、初めて手に取ってくださった方も多く、ありがたい限りだなと思いました。
この連休の間に、アリス・マンローのディア・ライフを読んでいましたが、私が彼女を知ったのは、ノーベル賞ではなくて、サラ・ポーリーの映画からであり、そう思うと、読者が作家を知る機会というのは知名度とか評判とかベストセラーとは少し違うのかもしれないなと思いました。 私がアリスマンローを見つけた現象を抽象化し、同じように誰かが蓮井遼を見つけたということになるのかと思いますが、その象徴はまた、このような話を書くというイメージを特定するものになるのでしょう。 ですので、私の場合、自分の描きたいものを突き詰めたり、磨き上げていくことになるのですが、イベントに来訪している多くの方に受け入れる話を書くことは、文学の特質上、中々難しく、やはり過去の文筆家や現代のより自分が面白いと思う作家に負けぬように、話を書き続けるのが、望むことだと思います。 最新作の書籍は、自身で編集したため、見落としていることも多々あり、今回お詫びのページを用意してはいたのですが、結局は差し込まずそのままのお渡しとなりました。また次回作によいものを作れるようにすることで今回のお詫びの代わりとさせていただきます。 ご来訪ありがとうございました。 また、私は27日に金沢文学フリマにも参加してまいります。こちらも予想はできませんが、起きうることの多くを受け止めていけたらと思います。 お読みいただき有難うございました。 |