今はもう太陽が、こんなに近くに来ている。私が幼い頃はまだ太陽とは命を生かすのに欠かさないものだと思われていたのに。思い返してみると、太陽が地球に近づく報道を受けたのは衝撃だった。その日から、自分たちがあと何年生き続けられるかの時間が定まっていて、特別私が太陽から地球を遠ざけるために何かしたわけではないが、あの時から、私達が取り巻いていた学校生活だとか会社での労働や家庭内の法事など既成として成り立っていたものの価値が一気に崩れ去った気がする。ただ、沸々と私たちに湧き上がってきた問いかけがあって、何のために私達は生きるというのかというなんとも耳にタコができそうな飽きるほどに悩んだ問いだったのだ。
もう一か月もつかどうか、屋外に出れば、放射熱でやられてしまうから、多くの人は地下に潜っている。ただ、それもほんの時間稼ぎだ。太陽は徐々に地球と接触していけば、誰だって死ぬのだ。一時期は、新聞やテレビで宇宙に逃げ出す財界人や暴力団を特集していて、一般の市民でも宝くじのように救済措置があって、抽選で宇宙に連れて行くようなNGOもあったが、今はもう人々にはそんな意欲はなくて、この永遠のようで瞬間の連続だと気づいている時間を惜しんで過ごしている。
私は何のために生きているのかを考えたあとに、今の妻に出会った。それも、滅亡の報道が私を駆り立てた気がする。友人の紹介で初めて会ったときに、こんな理不尽なことあっていいのかと話したら、彼女も強く同意してくれた。それが、私にはとても嬉しかった。彼女に会えなかったら、私は何のために生きていたのだろうと言えただろう。前方に見える大きな太陽を、特殊服を着て、私は見ているが、それが私の習慣となってしまった。私だけでない、地下で暮らす人も皆、いつ太陽が襲い掛かってくるのか心には怯えを抱きながら生きていくしかないのだ。そうすると、皆はより深く互いを愛するようになった気がする。贈り物としての物はもはや社会が機能していないから渡したりはできないが、めいめい果実や食材を獲り、家族や共同で暮らす人のために料理を振る舞い、太陽が火を簡単にくれるから、お腹は幸いに満ちて、それで夜は愛する人と一緒に眠ることができるのだ。
私も含めて、働いていた時にはこんな時間は過ごせなかった。仕事のノルマを達成するために夜はなるべく残業し、子供や妻とは生活時間がずれる人の方が多かったではないか、もっとも私は仕事していたときは、独身でしかなかったが。ただ、私にとっても会社に居残るよりは、自由に時間を過ごしたいものだ。
実をいうと、妻は私に愛をくれたたった一人の最愛の人だが、私より先に逝ってしまった。それは別にこの太陽のせいでなくて、元々妻は病を持っていたのだが。だから、彼女はよりひとときの時間を過ごすことの大切さを私に教えてくれた。夜通し、お互いのことを話し合ったのを私は思い出す。お互いの好きなものや嫌いなもの、行きたかった場所や生きていて大事にしている価値観だったり、家族のこと、その諍いも含めて、これからやりたいことだとか。私がこの服を着て、地上をさまよい、咲いていた花を摘まんで、妻に渡したときの彼女の驚きと笑顔が忘れられない。ああ、私はこのために生きていたんだと実感したし、それがこうして太陽の近くにいても妻が亡くなってから大分経ってはいるが、未だに彼女の心で満たされた気がする。
だが、それもあと少しで忘れてしまうのだろう。記憶もろとも肉体が壊されていくのだから。私はどちらかというと、科学的なものを信じているようで、死んで妻に会えるとは到底思えない。ただ、私が妻を喪い、忘れていくだけだと思っている。それは妻に限らず、既にいない祖父母や両親、地下深くに隠れている兄弟夫婦や友人など全てこの世でしか再会できないような気がする。だとしたら、また再び私が息を取り戻し、妻と再会することがあるのだろうか。そのしるしを探すのも賭けのようなものだが、命をそのために削るのであれば惜しくはない。大分、楽観的な考え方だとは思うが。
もう発電がないから、意味のない音楽プレーヤーだが妻の好きな歌が沢山入っていた。まだ彼女の歌声をはっきりと覚えている。釣られて私も一緒に歌っていた。そんな束の間の思い出が生きていた安らぎだったとは、今でないと気づけなかったのかもしれない。
「洋治さん、そろそろ戻らないと危ないですよ」
と下から、地下の住人が呼びかけてくれたので、洋治はその場を離れ、地下に戻った。
「はい、これが洋治さんの分です」
住人たちは洋治にジャガイモ料理を器に取り分けて、渡した。彼は礼を言って、自分のねぐらに戻り、箸を使って食べ始めた。彼の目の前には、ウイスキーの空瓶に花が挿してあった。それは彼が亡き妻に渡した花だった。
「よく太陽に負けず咲いていたね」
「丁度岩陰に咲いていたんだよ」
「そう、これ私にくれるの」
「ああ。初めて花を渡すね」
「うん、それに最後かもしれない。・・・有難う」
洋治は横になって眠りに落ちたのだった。
もう一か月もつかどうか、屋外に出れば、放射熱でやられてしまうから、多くの人は地下に潜っている。ただ、それもほんの時間稼ぎだ。太陽は徐々に地球と接触していけば、誰だって死ぬのだ。一時期は、新聞やテレビで宇宙に逃げ出す財界人や暴力団を特集していて、一般の市民でも宝くじのように救済措置があって、抽選で宇宙に連れて行くようなNGOもあったが、今はもう人々にはそんな意欲はなくて、この永遠のようで瞬間の連続だと気づいている時間を惜しんで過ごしている。
私は何のために生きているのかを考えたあとに、今の妻に出会った。それも、滅亡の報道が私を駆り立てた気がする。友人の紹介で初めて会ったときに、こんな理不尽なことあっていいのかと話したら、彼女も強く同意してくれた。それが、私にはとても嬉しかった。彼女に会えなかったら、私は何のために生きていたのだろうと言えただろう。前方に見える大きな太陽を、特殊服を着て、私は見ているが、それが私の習慣となってしまった。私だけでない、地下で暮らす人も皆、いつ太陽が襲い掛かってくるのか心には怯えを抱きながら生きていくしかないのだ。そうすると、皆はより深く互いを愛するようになった気がする。贈り物としての物はもはや社会が機能していないから渡したりはできないが、めいめい果実や食材を獲り、家族や共同で暮らす人のために料理を振る舞い、太陽が火を簡単にくれるから、お腹は幸いに満ちて、それで夜は愛する人と一緒に眠ることができるのだ。
私も含めて、働いていた時にはこんな時間は過ごせなかった。仕事のノルマを達成するために夜はなるべく残業し、子供や妻とは生活時間がずれる人の方が多かったではないか、もっとも私は仕事していたときは、独身でしかなかったが。ただ、私にとっても会社に居残るよりは、自由に時間を過ごしたいものだ。
実をいうと、妻は私に愛をくれたたった一人の最愛の人だが、私より先に逝ってしまった。それは別にこの太陽のせいでなくて、元々妻は病を持っていたのだが。だから、彼女はよりひとときの時間を過ごすことの大切さを私に教えてくれた。夜通し、お互いのことを話し合ったのを私は思い出す。お互いの好きなものや嫌いなもの、行きたかった場所や生きていて大事にしている価値観だったり、家族のこと、その諍いも含めて、これからやりたいことだとか。私がこの服を着て、地上をさまよい、咲いていた花を摘まんで、妻に渡したときの彼女の驚きと笑顔が忘れられない。ああ、私はこのために生きていたんだと実感したし、それがこうして太陽の近くにいても妻が亡くなってから大分経ってはいるが、未だに彼女の心で満たされた気がする。
だが、それもあと少しで忘れてしまうのだろう。記憶もろとも肉体が壊されていくのだから。私はどちらかというと、科学的なものを信じているようで、死んで妻に会えるとは到底思えない。ただ、私が妻を喪い、忘れていくだけだと思っている。それは妻に限らず、既にいない祖父母や両親、地下深くに隠れている兄弟夫婦や友人など全てこの世でしか再会できないような気がする。だとしたら、また再び私が息を取り戻し、妻と再会することがあるのだろうか。そのしるしを探すのも賭けのようなものだが、命をそのために削るのであれば惜しくはない。大分、楽観的な考え方だとは思うが。
もう発電がないから、意味のない音楽プレーヤーだが妻の好きな歌が沢山入っていた。まだ彼女の歌声をはっきりと覚えている。釣られて私も一緒に歌っていた。そんな束の間の思い出が生きていた安らぎだったとは、今でないと気づけなかったのかもしれない。
「洋治さん、そろそろ戻らないと危ないですよ」
と下から、地下の住人が呼びかけてくれたので、洋治はその場を離れ、地下に戻った。
「はい、これが洋治さんの分です」
住人たちは洋治にジャガイモ料理を器に取り分けて、渡した。彼は礼を言って、自分のねぐらに戻り、箸を使って食べ始めた。彼の目の前には、ウイスキーの空瓶に花が挿してあった。それは彼が亡き妻に渡した花だった。
「よく太陽に負けず咲いていたね」
「丁度岩陰に咲いていたんだよ」
「そう、これ私にくれるの」
「ああ。初めて花を渡すね」
「うん、それに最後かもしれない。・・・有難う」
洋治は横になって眠りに落ちたのだった。